図書設計について


日本図書設計家協会 設立趣意書

 


本をデザインする友へ

 


 私たちは、どのような動機から、本つくりの世界に入ったのだろう。読書が好きだったのか。幼い時、本の姿に魅せられ、いつの日かその仕事に関わりたいとの思いが、やがて日常そのものになっていったのか。さまざまな仕事を経て本が体質に合うと感じたためか。本というメディアの深さに次第にはまりこんでしまったのか。ともあれ、私たちはいま、本の仕事をとても大切に考えている。

 本は周知の通りいくつもの要素によって形成されているが、書かれたままの原稿、原画やフィルム、印刷されない紙、個々の原型や資材の単体はそのままでは意味をもった存在となりにくい。ばらばらの活字、それ自体には生命はない。著者の手により書かれた言葉によって、生命が吹き込まれてはじめて、印刷という形式で記録できる思想が生れる。それを読みやすいように文字組を整え、さらに視覚的な伝達効果を高めるさまざまな工夫を加える。こうして文字印刷された紙が束ねられて、書物というものが構成される。これらの過程をへて内包する知識・情報に渾然とした美的な付加価値を意図的に創りだす行為が図書の設計(Book Design)である。その生産的な行為は、文化の質を形づくる要素として社会に深く広い影響を及ぼすものである。「細部に神は宿る…」という言葉があるが、書物という知識の集積された個体の形態化において、細部の形成にささやかながら関与していることに私たちは自信と誇りをもっている。

 一方、専門家としての私たちは、ふだん(憲法で保証されたといわないまでも)人間的な生活を営んでいるだろうか。日ごろは、夜遅くまで働き、日曜、祭日を返上して働く姿は高度成長時代さながらではないか。本を形づくる総合的な表現者としての役割りは、社会的な位置、報酬の面でも評価されているといえるだろうか。ふつうの生活者としては、妻子と共に人生を歩むものとしてよろこびを与えているだろうか。「仕事」の名によってだれかに犠牲をしいていないだろうか。つまりどこかに無理をしわよせしていないか。私たちの仕事に対して正当な扱いをうけているだろうか。私たちは専門的な職能人として存在する理由を実感しているだろうか。私たちがこの上なく大切に思い、また愛している仕事は、ひそかなる自負と、大いなる確信をもって次の世代に手渡せるものにできうるだろうか。

 いま、「出版産業」は重層化し多発するメディアのなかでどのような変化と発展をとげようとしているのだろうか。先鋭化する科学技術の伝達方法にくらべると、書物は素朴にすら感じる古典的な伝達手段である。情報の伝えられる範囲は、他のマスメディアに較べて遅く、せまく、少なく、古くさえある。だが、決定的に違うのは、伝える意味が深く、長い時に耐えられる記録性と、情報加工の精密度と美的完成度の高さではないだろうか。

 だが、「本つくり」の将来は、楽観を許せない事態が続発している。私たちは、出版という生態圏に共生しているが、それぞれは小さな群れに分れている。孤独を愛し、孤高をめざしたわけではないがことさら集団をつくることを避けてきた感さえある。身近の小さな変化には対応できるが、大きな力には抗しえない。私たち個人の発言力はあまりにも弱い。ふだん、ある計画に参加してある自信をもつ考えについて、推論を展開することをさしひかえる場合が多くないだろうか。他の専門家への敬意が主張を自制させるにしても、専門家としての考えに正当性があれば、率直に述べ説得できるプロフェッションとしての条件や立脚点が必要ではないだろうか。流れに安易に同調することで、自らの仕事を疎外していないか。ひとりでは何らかの専門的見解も、少数意見として容認されにくいのである。そこから、「良案を通すのは哲学より力学の問題である」との逆説が生れる。

 「書物をデザインする」というテーマは、限られた少数精鋭のみによって達成されるものではない。同時代のあらゆる人的、技術的、生産的総体によってとりくむべき、ひとつの社会的所産としての本の形態である。また、造本を総合的に計画する「設計家」の存在は時代の要求するものである。とかく個々ばらばらに進められがちな本の形つくりに、調和と機能を組織する設計のプロ集団の登場が待たれていた。そしていま、「図書設計家」という専門的機能を確立するべき時に至ったのではないか。共通の主張をささえる基盤をつくるべき状況になっているのではないか。一人でできることには、社会的な限界がある。多くの専門家の知恵と経験、問題意識と実行力を集めて、はじめてそこに改良をめざす意志の表現となり、働きかける力となってゆくことは多くの事例が証明するところである。

 私たちは会の発足をめざしてここに至るまで、四年の間に数えきれないほどの小会議をつみ重ねた。そこでふだん大切に考えていることの意味を自らに問うとともに、同じ道を歩む人々と語りあい、迷いながらも個人的見解の差を超えて、確かな前進をはかることの基本的合意に達した。そしてここに、ようやくひとつの専門家の集合体「日本図書設計家協会」を誕生させる運びになった。ささやかだが本のデザインの専門団体としては、日本ではじめてである。小さな個体が生れる、無数の微粒子が集まってひとつの天体を形成するように。私たちは、全く自然人たる個体として、人生をかけたこの世界にある必然性をもって参加するべくともに本を形づくる同志としてここに集った。誰れのためでもなく、真に自分たちの場をひらく手づくりの会をめざす。今こそ、ばらばらに存在する私たちの、自律し孤立した願望に、ある共通の方向性を探りだし、建設的な話しあいを積み重ね、ともに着実な歩みを進めようとしている。

 「仕事」の質的変革に、私たちは人生の主要な時をかけている。日々にたち向う「仕事」こそ、残された生命の燃焼の意味を問うものとなるだろう。

 ここに本つくりの創造者集団としての「日本図書設計家協会」の発足を宣言する。また、同じ分野で活躍する方々に、一人でも多くこの会に参加されることを心から願うものである。

 本つくりの世界に関与され、ともに本をつくる多くの分野の方々に、これまでのおしみないご支持をふかく感謝するとともに、今後も一層の力強い御支援とご指導を期待するものである。

 

 


1985年11月30日
日本図書設計家協会 発起人一同